あるくの从作家見聞記|No.7 久保俊寛「私の中の面々」(呉・広島・交遊録・第3章)

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ライターの山田歩さんによる「あるくの从作家見聞記」4回目の更新です。今回は、7月中旬に広島市のギャラリー並木にて開催された久保俊寛さんの個展開催にあわせ「愚亀こと久保俊寛」を送っていただきました。人人展でも10年以上前から、久保さんの過剰な世界(もちろん良い意味で)を見せていただいていますが、74歳になられても制作意欲・スピード感が衰えているようには感じません。このエッセーでは神仙思想、それと深い関係にあるとされる浦島伝説をからめつつ、一人の画家の老いと鍛錬における境地が軽妙に、また独特の深みをもって描かれています。誰にでも訪れるゆえに気になる老後。ちょっぴり憧れるぞ久保さん。(文責 ないとう)

あるくの从作家見聞記7

◉久保俊寛「私の中の面々」(呉・広島・交遊録・第3章)
7月26日~8月1日(2017年) ギャラリー並木(広島市)

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愚亀こと久保俊寛

「昔々、ある処に愚亀と称する愚かな亀が棲んでいました。自らを愚かで、ノロマだと言触らしていましたが、本当はとても頭が良くて、何事も俊敏な賢い亀でした。周囲のものは仙人の生まれ変わりだろう」という昔話は残念ながらない。だけど浦島太郎が助けた亀に連れられ龍宮城へ行き、鯛やヒラメの舞い踊りの歓待を受け、玉手箱をお土産に貰い、砂浜で開けたら煙が出て浦島太郎は白髪のお爺さんになったという伝説はある。私は、煙が出た瞬間に久保俊寛に化身したと疑いもなく思っている。

久保俊寛と出会って、もう2年余りが経つ。いつ会っても同じ服装で仙人みたいに見える。渓流釣り師がよく着ているポケットがいっぱいあるジャケットから次々といろんなものを出してくる。御自慢はプロ野球広島カープの丸選手から頂いたカープのユニホーム姿と丸選手とのツーショット写真だ。白髪混じりの爺さんだと思うけど、気が若いし、見かけも若い。世の中に「器用貧乏」とか「贅沢貧乏」という言葉があるが、「贅沢貧乏」は森鷗外の娘、森茉莉さんとして、一方「器用貧乏」は世間中にいる。久保さんの場合は「達人貧乏」と言って良いのではないかと思っている。器用さを通り越して達人の域にいる。オブジェ、コラージュ、絵、書など何をやらせても上手い。時に上手さは嫌味になるが、久保さんの場合はちょっと違う。本人は、一心不乱なのである。無欲だと思う。

ある日、郵便受けに久保さんからの便りが届いていた。そこに「SG(生涯)60の会」の書状があった。「60歳以上の人、腹七分の食事、今を生きる人、老人意識を持たない人、常識を否定できる人、死を恐れない人」と書き記されていた。何なのだ、この人はと思った。実際には私より10歳ほど年上である。「山ちゃん(私のことをそう呼ぶ)、俺は60歳で歳を超えないことにした」、とのたまう。地区民生員もその対応に困惑したらしい。

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久保俊寛のアトリエ風景

千葉市で暮らしている彼の生活は規則正しい。夕方からの生活を紹介すると5時ぐらいに昼の絵描きの仕事が終わると、近所の馴染みの店に夕食を兼ねて飲みに行く。ポケットには秋葉原で購入したラジオを携帯して野球中継を聴く。居酒屋でテレビも見る。時々、広島カープの丸選手の千葉経大付属高校時代の松本監督と一緒に飲む。丸選手は千葉出身なのである。余談だが、私も大の広島カープファンで広島が勝つと電話する。但し、久保さんの場合は丸選手が活躍したかどうかだけである。この人は自分が熱中していることにしか興味がない。夜、部屋に戻ると午後9時頃に眠り、午前3時に起きて、画業に取りかかる。朝、9時頃まで仕事して朝食。その後、ぼんやりとして昼食。そして、また画業に取り組む。まあ昼間は人と会ったり、東京に出かけたりもする。他人と会うのが嫌な人ではない。会えばよく話す。今は、肖像画に集中していて、春先には500人の肖像画を描いたと言っていたが、最近の電話では900人描いたと得意げだった。アトリエには宮沢賢治や南方熊楠や藤田嗣治などの著名人や久保さんの友人の肖像画が飾られている。「山ちゃん、千人斬りだよ」と豪語する。私は、500人を超えた頃にもういい加減止めたらと忠言したが、聞き入ってくれなかった。それ以上に久保さんは加速し、またカオピーとかヒロピーとか訳のわからないことをやり出した。自分が描いた肖像画を紙袋にして着飾り 展覧会場を歩き回ったのだ。今年の8月の広島での個展の時に開催されていた広島平和記念デーでは広島市長にヒロピーの姿で会い、「広島平和特別大使」に任命してくれと嘆願した。弟子にはオブジェ「反核の玉」をプリントした紙袋を被せていた。しかし、丁重に断られたそうだが、私は、ここに久保さんを「広島特別平和天使」と任命したい。彼の平和に対する熱情は凄い。ちなみにピーとはピース(平和)のピーのことだそうだ。

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2017年久保俊寛の暑中見舞いより

久保さんは広島県呉市出身である。呉市は軍港だったところである。彼は戦中に生まれているので、戦後の日本の光景も眼にしている。4歳の時に広島の原爆と終戦を体験。人間の愚かさを身に沁みて理解していたことだろう。絵を志してから彼に根付いたものは他人が推し量れるものではない。彼の作品は広範囲に亘っている。ジーンズの糸くずで表現した作品「デニム両界曼荼羅」、マッチ棒で球体の「反核の玉」をオブジェ化した作品。コラージュ作品の「ヒロシマ残された二重像」は広島出身の画家・靉光(19071946)の「二重像」にオマージュを捧げて制作している。また山形県朝日村の湯殿山注連寺の天井画など一貫した彼の社会に対する心骨を注げる姿勢は変わらない。故郷、広島国泰寺高校の定時制に通っているときに出会った柿手春三(核シェルターの中のバンザイの作者)や、被爆画家の増田勉との出会いは、今日に至るまで彼の心の支えになり平和への思いは強い。久保俊寛は根無し草な生き方はしていない、ずっと根があり続けている。過去には「道化シリーズ」なる作品を発表しているが、道化であることは、己を客体化して観ることができないと貫かれない。久保俊寛は内観ができる画家である。

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久保俊寛による書

最近、電話で話をすると、「もう画家は止める、俺は書家になる」という。以前、私に一枚の書を送ってくれた。そこには「自分にとって人の顔を写すことは、死者と生者の谷間(はざま)を生きる無の行為そのものである。愚亀俊寛」とあった。私は久保さんに中国の詩人で書家の黄庭堅(10451105)の話をした。黄は江西省文寧の生まれで詩において江西派の祖と仰がれた人物。蘇軾の弟子である。黄庭堅の詩に対する真情は「点鉄成金」と「換骨奪胎」であった。「点鉄成金」は古人のありふれた言葉をとりあげて、そこに価値を見出すこと。「換骨奪胎」とは平凡な才、凡骨を脱して神仙にいたること。すなわち古人の詩文を基に創意工夫をして新しい作品を作ること。自然を直視することを説いていることを伝えた。そうすると「山ちゃん、それは俺のことだよと」と平然と言う。黄庭堅の書はゆるやかでのびのびとした余韻のあるものであり、舟の櫓を漕ぐようなものであったという。久保さんの書もゆらゆらと動いているような感じを受ける。

カオピーとかヒロピーとか言っている場合ではない。クボピーは今こそ、舟の櫓を漕ぎ荒れ狂う大海原に出て筆先で世の中を洗うべきではないかと思っている。

(山田歩)

 

次回もお楽しみに!

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